2009年06月25日

金融に端を発する経済危機のこと

金融危機(きんゆうきき、Financial Crisis)とは、金融に端を発する経済危機のこと。

近代以降、銀行による信用創造が活発に行なわれるようになると、預金などの信用貨幣は急速に増大した。

信用創造によって生まれた信用貨幣は、誰かが銀行から借金をすることで生まれる。そして信用貨幣の価値は本源的には借手である「誰か」の債務返済能力が保証している。そのため、借手の返済能力が低下すると信用貨幣はその価値が危ぶまれることとなる。

信用創造によって経済全体の貨幣は現金よりも多くなっているため、そもそも全ての預金を現金と交換することは出来ない。しかしながら銀行は通常、信用貨幣を現金貨幣に交換することを制限していないため、銀行への貸手(預金者)は、信用貨幣の価値に不信感を抱いた場合、現金貨幣へ交換する取引(引き出し)を行なうことになる。通常時、預金の引き出しは統計的に一定量を超えることはないため、銀行経営は成り立っているが、預金債権者が一定量をこえて引き出しに殺到した場合は、これに応じることが出来なくなる。これが取り付け騒ぎである。

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こうして銀行による信用構造が崩壊するなか、銀行の貸し出し先は返済を求められる。返済によって経済世界から信用貨幣が減少する。結果として経済活動は低調になる。

いくつかの借手はこれを返済することが困難と見こまれ、信用貨幣の一部は不良債権化する。ここで借手が資金繰りのショートを起こして倒産すると、債権放棄(借手に対する贈与)を余儀なくされた銀行は危機に陥る。

このような恐慌状態に陥る可能性がある状態を、金融危機と呼ぶ。例えば銀行が多額の不良債権を抱えた場合は、上述の恐慌状態に陥る危険が高まっているため、金融危機が起きていると言える。

金融危機は信用貨幣の縮小を通じて高い失業や稼働率低下、経済成長の停滞・後退など著しい経済損失を発生させるため、数々の対策が打たれている。

2009年06月10日

ペリー艦隊出航

1852年11月24日、58歳のマシュー・カルブレース・ペリー司令長官兼遣日大使を乗せた巡洋艦「ミシシッピー」を旗艦とする東インド艦隊は、一路アジアへと向かった。ペリーはタカ派のフィルモア大統領(ホイッグ党)から、琉球の占領もやむなしと言われていた。

艦隊は大西洋を渡って

マデイラ島(12月11日?15日)
セントヘレナ島(1853年1月10日・11日)
南アフリカのケープタウン(1月24日?2月3日)
インド洋のモーリシャス(2月18日?28日)、
セイロン(3月10日?15日)、
マラッカ海峡からシンガポール(3月25日?29日)、
マカオ・香港(4月7日?28日)
を経て、上海に5月4日に到着した。

このとき、すでに大統領は民主党のピアースに変わっていて、彼の下でドッピン長官は侵略目的の武力行使を禁止したが、航海途上のペリーには届いていなかった。
クラシック音楽
南極と北極
への付く言葉
ザ・和歌山
産業とは!
世界の演劇
慣用句集
かの付く言葉
七五三
靴に囲まれて
自転車
婦人科
香道
遺伝子疾患
洞窟
ジョギング
債券
クリケット
通訳
アメリカンフットボール

上海で巡洋艦「サスケハナ」に旗艦を移したペリー艦隊は5月17日に出航し、5月26日に琉球王国(薩摩藩影響下にある)の那覇沖に停泊した。ペリーは首里城への訪問を打診したが、王国側はこれを拒否した。しかし、ペリーはこれを無視して、武装した兵員を率いて上陸し、市内を行進しながら首里城まで進軍した。王国は仕方なく、武具の持込と兵の入城だけは拒否するとして、ペリーは武装解除した士官数名と共に入城した。ペリー一行は北殿で茶と菓子程度でもてなされ、開国を促す大統領親書を手渡した。さらに場所を城外の大美御殿に移し、酒と料理でもてなされた。ペリーは感謝して、返礼に王国高官を「サスケハナ」に招待し、同行のフランス人シェフの料理を振舞った。

しかし、王国が用意したもてなしは、来客への慣例として行ったものに過ぎず、清からの冊封使に対するもてなしよりも下位の料理を出すことで、暗黙の内にペリーへの拒否(親書の返答)を示していた。現在でも多くの国が来客に対して使う手法である。友好的に振舞ったことで武力制圧を免れたものの、王国はこの後もペリーの日本への中継点として活用された。

2009年06月06日

坂上田村麻呂の蝦夷征伐、藤原秀郷、平高望

坂上田村麻呂の蝦夷征伐、藤原秀郷、平高望、源経基ら武士の台頭、僧兵、承平天慶の乱、源平の戦いなどの時代背景から、湾刀形で芯鉄(しんがね)を入れた鍛刀による強靭でしなやか、かつ信仰の対象ともなる日本刀の誕生はこの頃であるといわれている。「小烏丸」(御物)は平貞盛が平将門の乱を天慶3年(940年に平定した褒賞の刀と伝承されており、鍛造の特徴から、平安時代中期頃の大和鍛治の作と見られている。製鉄技術は当時貴重であり、租税として製鉄品が朝廷や寺社が取り立てており、自然と刀工の活躍地域は近畿地方、もしくは製鉄の産地から始まった。最も古いと見られているのは大和国に興った「大和伝」で、続いて「山城伝」、「備前伝」が興ったと見られている。この3伝法が今日に至るまでの刀剣製作の基本的な技法となる。特に大和伝は、奈良時代より奈良を中心に各地の寺社領へと広まったため、その影響下にある刀工は多い。(相州伝、美濃伝は上述3伝法を発展させて誕生した)

各地の伝法、流派、著名刀工は以下の通り。

大和伝 - 大和国(古千手院派・行信)。西国等(豊前国の神息、豊後国の僧定秀、行平、薩摩国の(波平派)行安、安行)、陸奥国(寶寿、舞草、月山等)。
山城伝 - 山城国(三条派・宗近、五条派・国永、兼永)
備前伝 - 備前国(古備前派・友成、正恒、包平)
その他 - 伯耆国の安綱、安家、真守、国宗。備中国(古青江派の正恒、貞次、恒次)。

元暦元年(1184年)から元弘3年(1333年)まで。

鎌倉幕府が相州鎌倉の地で興り、京都中心の前政治体制から大きく転換。前時代から萌芽の見られた武家社会が本格的に始まった。依然として製鉄産地での刀剣製作が主流であったが、鎌倉の地にても刀剣製作が始まった。幕府が各地の著名工を集ったと伝わり、備前から福岡一文字の助真、備前三郎国宗。京都から粟田口藤六左近国綱、新藤五国光が赴いた。 鎌倉で刀剣研究が行われる一方、承久の乱を引き起こした後鳥羽上皇は自らも作刀し、天皇家に遣える武家に太刀を与えた。これは「御番鍛冶制度」と呼ばれ、月替わりで、京、備前、備中等の著名刀工を招いた。中茎に十六葉の菊紋が彫ってあることから「菊御作」と呼ばれる。 承久の乱後、蒙古襲来があり、大鎧対抗を前提とした重厚な刀剣の姿から反省を生かし、今までの刀剣の姿に改良が加えられつつ、南北朝時代を迎えることとなる。鎌倉で作刀が始まったとは言え鎌倉時代の主力産地は備前であり、鎌倉で新たに興った「相州伝」は次の時代にその特徴が全国へ広まることとなる。主な流派は以下の通り。
おもちゃ 生涯学習 スポット ダイエット 交通地図 若返り 開業 育児 在宅 趣味 美容整形 アクセサリー 審美歯科 贈り物 音楽 旅館 教材 北海道東北 美容 信託 理容 興信所 リラク 審美歯科 住まい 老人 寝具 楽器教室 贈答品 学校 遊園地 バスト 検定 国内 インプラント キャッシング 美容 弁護士 仏具 審美歯科 健康 老人 スポーツ 学習 観光 プリスクール 交通 矯正 求人募集 エステ 人探し

山城伝 - 山城国(粟田口派の則国、国友、久国、国吉、吉光、国安、国綱。綾小路派の定利、守利。来派の国行、国俊、国光、光包、了戒)。肥後国(延寿派の国村、国資、国時)
備前伝 - 福岡一文字派諸工。吉岡一文字派諸工。長船派の光忠、長光、景光。畠田派の守家、真守。宇甘派の雲生、雲次、雲重。
大和伝 - 大和国(千手院派。当麻派の国行、有俊。手掻派の包永。尻縣派の則弘、保昌派の貞吉、貞宗。)。備後国の古三原派、二王派。越中国の宇多派。その他は前時代の門跡を継ぐ(著名刀工に、筑前国の西蓮、実阿がいる)。
相州伝 - 相模国(新藤五国光、国廣、藤三郎行光、正宗)。越中国の則重
その他 - 備中国(中青江派の貞次、為次、康次、吉次、次吉)

2009年04月23日

荘園公領制

荘園公領制(しょうえんこうりょうせい)とは、日本の中世における、荘園と公領を土台とした、重層的土地支配構造のことである。歴史学者の網野善彦が提唱した。11世紀中後期から12世紀初期にかけて成立し、院政期を通じて発展し、鎌倉時代前後に最盛期を迎えた。その一方で、鎌倉時代には地頭による侵食を受け、室町時代には守護(守護大名)によって蚕食されるなど、武士の進出に伴って次第に解体への道を進み、戦国時代頃までにほぼ形骸化した。最終的には太閤検地で完全に消滅する
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平安時代中期以降、開発領主による墾田開発が盛んになる。彼らは国衙から田地の私有が認められたが、その権利は危ういものであった。そこで、彼らはその土地を荘園として受領層に寄進することとなる。受領層は彼ら大名田堵(=開発領主)を荘官に任命し、その土地の実効支配権を認める代わりに、荘官から一定の税収を受け取る。こうして荘園を持つようになった受領層を領家と呼ぶ。領家は次第に、権限を剥奪された補佐官である任用や大名田堵との対立を増すようになる。そこで彼らは自らの荘園をさらに権門層に寄進し、保護を求める代わりに一定の税収を納めた。こうして荘園を集積した権門層を本家と呼ぶ。

時を同じくして、律令制の崩壊と共に、上級貴族は政治への意欲を全くなくし、地方政治は国司に一任されていた。増え続ける荘園に対抗して、国司は大名田堵を在庁官人に任命し、自らの手元に置き、さらには惣司・郷司・保司として、地方行政官とした。惣司・郷司・保司はそれぞれ一定額をそれぞれ国司、朝廷に納めればよい。その後、荘園の更なる増大で税収が減り、上級貴族に俸給を払えなくなった朝廷は、彼らに知行国として国を与え、その国に関する国司の任命権と税収を上級貴族に与えた。同様に皇族にも院宮分国制が敷かれ、こうして権門層たる上級貴族、受領層たる国司、大名田堵たる惣司・郷司・保司が結びつき、荘園制とほとんど変わらぬ構造となった。

なお、この重層的支配構造は「職(しき)の体系」とも呼ばれ、それぞれの立場の職務と権限を「?職」と呼んだ

2009年04月19日

月氏(げっし)

月氏(げっし)は紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて北アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。東西交易で栄え、匈奴と対立し、敗れた後は西方に逃れて中国から大月氏と呼ばれるようになる。

月氏の民族はチベット・モンゴル・テュルク・イラン・カッシートと諸説あり、はっきりしない。月氏自身は記録を残さず、ほとんどが中国の史書による記録が多い。紀元前3世紀ごろからタリム盆地に拠って東西交易を独占し、一時は匈奴を圧倒するほどの強勢となった。

しかし匈奴に冒頓単于が立つと、紀元前206年と紀元前176年に冒頓による攻撃を受け、西のイリ地方に逃れる。この時に月氏の一部は甘粛と青海に残った。中国の史書では、残ったほうを小月氏、西遷した方を大月氏と呼んでいる。紀元前162年には冒頓の息子老上単于による攻撃を受けて、月氏の王が殺され、匈奴は王の首を持ち帰り、頭蓋骨をくり抜いて、酒の杯にした(これはアジアの遊牧民族で広くみられる風習であることが資料から読み取れる)と言う。

その後月氏は更に西のソグディアナに逃れ、この地で大月氏は大夏を征服して大月氏国を立てて、中継貿易で大いに栄えた。(この大夏はバクトリアのこととする説とバクトリアを滅ぼしたスキタイ系のトハラ人の国だとする説がある。)

ネオクラ スタンド タックイン グッピー べにま おおつち シモツ タンリム スカッシュ シャイ ネオコン マンハント タロ芋 ダスド チューハイ トーナル けまり ミトン ヒュミント よめな ブレンド ベローズ マラン バッジ ブラック クロチ 街道の扉 フィック ピステ トライ ボーイ カキド ルイベ フルオート プロタミン シャント ロジック ビバーク ワルフ カレンシー ション イワヒバ ファーコ ネメシス ネオカ 影の館 グリー ボンボン ヒーター ドゥー炉

紀元前130年ごろに前漢の張騫が対匈奴の為前漢との同盟を求めに来たが、すでに安住の地を手に入れた大月氏はこれを断った。

1世紀初めごろから、トハラ人のクシャーナ侯が強大となり、クシャーナ侯が立てたクシャーナ朝がこの地を代わって支配するようになり、東西交易も支配するようになった。しかし当時の中国ではこのクシャーナ朝も大月氏と呼んでいた。

また中国への仏教伝来についての一説に、紀元前2年に大月氏国王の使者伊存(いそん)が、『浮屠教』と言う経典を景蘆に口伝した、と言うものがあり(『釈老志』)、これが諸説の中でもっとも早いものとなっている。

2009年04月04日

野見宿禰

野見 宿禰(のみ の すくね)は、『日本書紀』に登場する人物。相撲の神。

出雲国の勇士で、天穂日命の14世の子孫であると伝えられる。垂仁天皇の命により、当麻蹴速と角力(『日本書紀』では捔力)で互いに蹴り合って腰を踏み折って勝った。当麻蹴速が持っていた大和国当麻の地を与えられ、朝廷に仕えた。 『日本書紀』によると、皇后の葬儀の時、殉死にかえて埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたとされる(考古学的な知見からこれは伝説であることがわかっている。詳しくは埴輪の項目を参照)。土師氏は代々天皇の葬儀を司り、後に姓を大江や菅原に改めた。大江匡房や大江広元、菅原道真、毛利元就は野見宿禰の子孫ということになる。

片埜神社(大阪府枚方市)の社伝には、当麻蹴速に勝った野見宿禰は、垂仁天皇に河内国(かわちのくに)を賜ったと伝えられる。『播磨国風土記』によると、播磨国の立野(たつの・現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬されたとある。神魂神社(かもすじんじゃ)の伝承では、この神社の裏山にある「岩」を用いて修行したといわれている。

穴師坐兵主神社(奈良県桜井市)摂社の相撲神社、野見宿禰神社(兵庫県たつの市、東京都墨田区)などに祀られている。

前述の通り、学問の神として知られる菅原道真の先祖であり、菅原氏から公家の五条家が出た。五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家となった。また、同じく野見宿禰の末裔である大江氏の大江広元の子孫から毛利氏や酒井氏が出たとされる。

どうぼう みんな一緒 バドガエル タッフバグ パノラマ リージング おぜいゆ野 しうり ヘチマ フジ情報 ブラッド スパーリ キーマン ミール モグタ ピテクス レンギ わっかない ローファー ハード ミネソタ レニン グルユース タリン オクラ ドライスキ ミネル シーケー チェリスト ミカン リーブ アフリカ じょべーぜ ガジェット ラブロマ ボール バジェ ヌーディズ スコタイ チャイナス タイプミス みねばり フランク タンジ ピメント プロフェッ ミント タイル 月曜日 ノルレボ

2009年03月20日

東海道新幹線開業

1964年(昭和39年)10月 この月の1日に東海道新幹線が開業し、それに伴って山陽本線には「新幹線との連絡輸送」という新しい使命が生まれた。同時に山陽本線の全線電化も完成したことに伴い、ダイヤ改正が実施された。
特急列車
「つばめ」・「はと」 新大阪駅?博多駅間 各1往復 新設
「しおじ」 新大阪駅?下関駅間 新設
この3列車は、151系電車を使用して設定され、「つばめ」・「はと」は、東海道特急から「東海道新幹線の連絡列車」として生まれ変わった。しかしながら東京駅?広島駅間運転時代の「つばめ」もそうであったが、前述した「瀬野八」の急勾配を151系では出力不足のため自力で登る事ができず、特急といえども153系・80系を使用した急行・準急同様、この区間の上り列車においてはEF61形などの補機の世話になる事になった。また「つばめ」・「はと」は交流電化の九州区間にも乗り入れたが、151系は直流電化区間用の車両であるため、この区間では交流用電気機関車に牽引されて走行する事になった。前者の問題は151系の出力を向上させた181系電車に改造される1966年(昭和41年)8月まで、後者の問題は交直流電車であり、出力も151系電車より大きく、瀬野八の補機連結を不要にした481系電車に置換えられる1965年(昭和40年)10月まで続いた。
他には、
「みどり」が運転区間を新大阪駅?熊本駅・大分駅間(小倉駅まで併結)に変更。
「みずほ」の大分駅発着編成を分離し、「富士」が東京駅?大分駅間で運転開始。
急行列車
「しろやま」・「音戸」が新大阪駅始発となる。
「筑紫」・「ぶんご」は廃止。
「宮島」は再び大阪駅?広島駅間となる。
大阪駅?博多駅間に「つくし」新設。 昼行客車。
大阪駅?下関駅間に「関門」新設。 153系電車使用。
1965年(昭和40年)3月 「やしろ」は80系電車化され、同時に岡山駅?下関駅間運転となった。
1965年10月 新幹線の本格稼動(東京?大阪間の所要時間を、当初の4時間から計画通りの3時間10分にする)を翌月に控え、全国規模のダイヤ改正がこの時行われた。鹿児島本線熊本駅まで電化も完成していたため、山陽本線では前年に続き、大規模な変動があった。
特急列車
「つばめ」 名古屋駅?熊本駅 481系電車
「はと」 新大阪駅?博多駅 481系電車
「しおじ」 2往復に増発。
「しおかぜ」(2往復) 新大阪駅?広島駅 181系電車 新設
「いそかぜ」 大阪駅?宮崎駅 82系気動車 新設
「あかつき」 新大阪駅?長崎駅・西鹿児島駅 20系寝台列車 新設
「富士」は東京駅?西鹿児島駅(日豊本線経由)となり、日本最長距離運転の特急列車となる。
「さくら」は運転区間を東京駅?長崎駅・佐世保駅間に変更。
「かもめ」は運転区間を京都駅?西鹿児島駅・長崎駅間に変更。
「みどり」は運転区間を新大阪駅?大分駅・佐世保駅(筑豊本線経由)間に変更。
急行列車
「海星」 新大阪駅?博多駅 寝台列車 新設
「夕月」 新大阪駅?宮崎駅 寝台列車 新設
「有明」 岡山駅?熊本駅…「山陽」を区間延長し475系電車化。
「山陽」 広島駅?博多駅…準急「長門」を格上げして区間延長し475系電車化。
「みずしま」 岡山駅?下関駅…準急「やしろ」を格上げ。
しかしながら「みずしま」の停車駅は準急時代とさして変わらず、“単なる料金値上げ”だと揶揄された。
「青島」 広島駅・門司港駅?西鹿児島駅(日豊本線経由)
…「べっぷ」と「にちりん」(博多駅・門司港駅?西鹿児島駅間)を統合。
「関門」は2往復に増発。(増発分の運転開始は12月)
「つくし」は、475系電車化し、2往復に増発。(1往復の下関駅?博多駅間の運転開始は12月)
「宮島」は1往復に削減。
「さつま」が系統分割されて、名古屋駅?博多駅間の電車急行「はやとも」、門司港駅?鹿児島駅間の夜行急行「はやと」となる。
準急列車
「やしろ」が改めて広島駅?下関駅間の列車として2往復新設され、その代わりに「周防」が1往復削減される。
1966年(昭和41年)3月 国鉄の制度改正により、運転距離が100kmを超える準急列車はすべて急行列車に格上げされる。
「吉備」・「にしき」・「とも」・「やしろ」・「周防」・「ななうら」といった山陽本線の準急列車はすべて急行列車となる。
「出島」の運転区間を呉駅?長崎駅・佐世保駅に変更。
修学旅行列車「わこうど」の季節間合いを使用して、東京駅?下関駅間に不定期急行「長州」新設。
1966年10月 下りの「とも」・「やしろ」1本ずつを統合して「みずしま」としたため、「とも」・「やしろ」は下り1本・上り2本、「みずしま」は下り2本・上り1本となる。
1967年(昭和42年)10月 日豊本線が幸崎駅まで電化
新大阪駅?博多駅間の寝台急行「海星」を格上げし、世界初の電車寝台列車となる「月光」が運転を開始。車両は新規に開発された581系電車を使用し、ここから581系と翌年に登場した改良型である583系電車は「月光型電車」と呼ばれるようになった。
「みどり」は新大阪駅?大分駅間の電車特急(581系使用)となり、佐世保駅発着編成(筑豊本線経由)は大阪駅?宮崎駅間運行の気動車特急「いそかぜ」に連結されることとなった。
「有明」は九州内に新設される事になった特急列車の名に転じ、岡山駅?熊本駅間急行は「しらぬい」と改称。
それまでの観光団体専用列車を普通急行列車に転換する形で、東京駅?長崎駅・大分駅間に不定期の急行列車「五島」・「くにさき」(門司駅まで併結)を新設。
1968年(昭和43年)10月 「ヨン・サン・トオ」と後に呼ばれる事になる、「サン・ロク・トオ」と並ぶほどの大規模なダイヤ改正が行われ、特急・急行が増発される。また、列車愛称の整理と準急種別の廃止もこの時行われた。山陽本線においてもこのダイヤ改正の影響は大きく、下記のような変化があったほか、各列車とも従来より1時間前後の運転時間短縮が行われた。なおこの時から、「不定期列車」は「季節列車」と呼ばれるようになった。
定期特急
新設列車
「なは」 大阪駅?西鹿児島駅 気動車 (「かもめ」の西鹿児島編成を改称)
「日向」 大阪駅?宮崎駅 気動車(「いそかぜ」の宮崎編成を改称。小倉駅まで「なは」と併結)
「金星」 名古屋駅?博多駅 電車寝台 (583系を使用)
「明星」 新大阪駅?熊本駅 電車寝台 (同上。寝台急行「ひのくに」を格上げ)
「彗星」 新大阪駅?宮崎駅 客車寝台
増発列車
「はと」 1往復→定期1往復・季節1往復
「しおじ」 2往復→3往復(新大阪駅?広島駅(「しおかぜ」を統合)、下関駅)
「あさかぜ」 1往復→2往復
「月光」 1往復→2往復
「あかつき」 1往復→2往復(新大阪駅?西鹿児島駅・長崎駅、西鹿児島駅・佐世保駅)
その他
「かもめ」 京都駅?長崎駅・佐世保駅(「いそかぜ」の佐世保編成を改称。筑豊本線経由)間に運転区間を変更。
「はやぶさ」 東京駅?西鹿児島駅・長崎駅間に運転区間を変更。
「つばめ」「はと」は583系に、「みどり」は481系に使用車両を変更。
廃止列車
「しおかぜ」・「いそかぜ」
定期急行
新設列車
「玄海」 名古屋駅?博多駅 475系電車 (「はやとも」を改称)
「ながと」(2往復) 新大阪駅?下関駅 153,165系電車 (「関門」を改称)
「とも」(3往復。他に1往復季節列車あり) 新大阪駅・大阪駅?三原駅 153系電車 (「びんご」を改称)
「山陽」(3往復) 岡山駅?広島駅・下関駅 153,165系電車 (「みずしま」・「とも(旧)」を統合)
「はやとも」 広島駅?博多駅 475系電車 (「山陽」を改称)
「日南」(2往復) 京都駅?都城駅・大阪駅?宮崎駅 客車寝台 (「日向」・「夕月」を統合)
「雲仙」 京都駅?長崎駅 客車寝台 (「玄海」を改称)
「西海」 大阪駅?佐世保駅(他に1往復季節列車あり) 客車寝台 (「平戸」を改称)
増発列車
ランド ドトラスト ジャム ガザニア マンホー ヒナガ ピンワ サテン ナスダック マクロ フォト ソンロ フラノ ロゴン もせう リアージ トポグ ロフィー ガスタン ぜんだな イコール ミサ全国 ジャンプ ハロー ロスジ ウィジ おおつち リヨン ビスタ ドッグ フォーカス トトカル トギザ ダリ タオル ッドカード ドーピ ダブル ライオ モブログ スノー くしろ エンド スノース バヌアツ ビラリー バスルガ チュリエ テーマソン リンド

「つくし」 2往復→定期2往復(1往復夜行)・不定期1往復
「音戸」 1往復→2往復(新大阪駅?下関駅、京都駅?広島駅(「ななうら」を改称)。呉線経由)
「吉備」 1往復→2往復(岡山駅?広島駅、岩国駅(「にしき」を改称)。呉線経由)
廃止列車
「ひのくに」・「平戸」・「夕月」・「日向」・「関門」・「ななうら」・「びんご」・「にしき」・「みずしま」・「周防」
※「周防」は、類似時間帯を走る「しろやま」に吸収される。
季節急行
新設列車
「ながさき」 東京駅?長崎駅 客車寝台
「べっぷ」 新大阪駅?大分駅(3往復。内1往復は、小倉駅まで季節「つくし」と併結)
廃止列車
「五島」・「くにさき」
※「五島」はこの後、1980年頃まで名古屋駅?長崎駅間にて多客期の季節急行列車として運行された。
1969年(昭和44年)5月 等級制度が廃止され、それまでの一等車はグリーン車、一等寝台車はA寝台車となり、二等車・二等寝台車はそれぞれ普通車・B寝台車となった。
1969年10月 以下のように変更。
「はと」は、不定期1往復を定期に格上げして2往復となる。
「しおじ」は、4往復に増発。
「明星」は不定期(週1本運休の他は毎日運行)1往復が新設。
「とも」のうち1往復を赤穂線経由に変更。
1970年(昭和45年)10月 鹿児島本線全線、呉線電化完成。ダイヤ改正。
「しおじ」5往復、「あさかぜ」3往復、「明星」2往復に増発。
「安芸」は、山陽本線経由となった上で下関駅まで延長され、「あさかぜ」格上げされて廃止。
京都駅?西鹿児島駅間に583系電車の寝台特急「きりしま」新設。東京駅?西鹿児島駅間の「霧島」は「桜島」と改称。
「宮島」が呉線経由となる。
「吉備」1往復が山陽本線経由となり「山陽」に編入。「吉備」1往復(電車化)、「山陽」4往復となる。
赤穂線経由の「とも」を大阪駅?呉駅間に運転区間を延長し電車急行「安芸」(新)を設定。
季節急行「ながさき」は、東京駅?新大阪駅間の運行を廃止して「雲仙」に統合し消滅。

2009年03月05日

ファイアサラマンダー(Salamandra salamandra)

ファイアサラマンダー(Salamandra salamandra)は、ヨーロッパに生息する陸生有尾類。古来サラマンダー(火蜥蜴)と称されてきたのは本種である。Salamandra はギリシャ語の「火のトカゲ」または毒を発射するという意味の(ファイアー)が語源。

15-25cm。稀に30cmに及ぶ。体色は黒地に警戒色として鮮やかな黄色(まれにオレンジ色)や赤色の斑点や縞がある。

ずんぐりした体と短くがっしりした四肢、太く短い指、胴体よりやや短い円筒状の尾を持つ。後頭部の両側と、背中の正中線にそって2列に並んで顆粒状の毒腺がある。ファイアサラマンダーの毒腺の大きさは有尾類中最大である。オスはメスよりやや体が小さく、特に繁殖期では総排泄孔がより膨れている。


有尾類の多くが外敵からの防御のため皮膚から有毒あるいは刺激性の分泌物を出す。これの毒は表皮につく雑菌や寄生虫を防ぐ役にも立っているらしい。ファイアサラマンダーの場合は Samandarin (C19H31NO2), Samandaridin (C21H31NO), Samanderon (C22H31NO2) というアルカロイド系の神経毒を持つ。これは全ての脊椎動物に対して有効な、過呼吸を伴う筋肉の痙攣と高血圧をもたらす毒物である。

耳腺毒腺は後頭部の両側にある耳腺と背部の正中線に沿った部分に集中している。ファイアサラマンダーの毒腺は骨格筋に囲まれており、その力で乳白色の毒液を高速(秒速 300 cm)で正確に相手を狙って噴射することができる。ここから発射する(ファイアー)サラマンダーと呼ばれるようになったとも考えられている。このような技のため、ファイアサラマンダーは他種と比べてごく少量の毒で身を守ることができるようだ。有尾類の毒はコレステロール派生物であり、生産に大量のエネルギーを要し、エネルギー貯蔵の役割も果たしているという説もある。

Salamandra salamandra alfredschmidti テンディファイアサラマンダー
Salamandra salamandra almanzoris スペインファイアサラマンダー
Salamandra salamandra bejarae グレドスファイアサラマンダー
Salamandra salamandra bernardezi イベリアファイアサラマンダー
Salamandra salamandra beschkovi
Salamandra salamandra crespoi クレスポイファイアサラマンダー
Salamandra salamandra fastuosa ピレネーファイアサラマンダー
最大でも15cmに満たない小型亜種。吻端から背面、尾にかけて2本の太い黄色い縦縞が入るのが一般的。幼体を出産することもある。
Salamandra salamandra galliaca ポルトガルファイアサラマンダー
体形は太く、尾が短い。成長に伴い耳腺や瞼を中心に黄斑の周辺に赤い斑点が現れることがある。
Salamandra salamandra gigliolii イタリアファイアサラマンダー
一般的に大きな黄斑があり、中にはそれぞれが結合して全身ほぼ黄色になる個体もいる。
Salamandra salamandra longirostris ロスバリオスファイアサラマンダー
Salamandra salamandra morenica モレニカファイアサラマンダー
Salamandra salamandra salamandra マダラファイアサラマンダー
Salamandra salamandra terrestris フランスファイアサラマンダー
一般的に吻端から背面、尾にかけて2本の黄色い縦縞が入る。まれに全身ほぼ黄色の個体もいる。アルビノやオレンジの個体もいる。

生態
暗く湿った場所を好む。一番多く生息するのは、近くに繁殖に使える水場がある落葉樹林や混合林の林床で、ほとんどの時間を石や倒木の下、木の根の隙間、他の動物の掘った穴などの隠れ家で過ごす。ファイアサラマンダーは空間認識能力に優れており、餌を取りに出歩いた後は、元の隠れ家に帰る。主に視覚、補助的に嗅覚によってランドマークとなる地形を覚えて帰り道を判別する。特に繁殖期になると、オス同士は縄張り争いをすることがある。お互いに立ち上がってレスリングを行うこともある。

餌を取りに出るのは主に夜間だが、雨の後などは日中でも出てくることがある。少しでも光がある時は、視覚に頼って獲物を探し、動きと形状とサイズで餌と判断したものに喰い付く。この場合食べ物の匂いがしても動かないものには反応しない。逆に完全な闇の中では嗅覚が主になり、動かなくても匂いがすれば喰い付く。これは特に変態直後数週間の学習が強く働いており、この時期に匂いはあるが動かない餌のみ、あるいは匂いの無い動く餌のみしか与えなければ、もう一方の感覚での捕食は上手くできなくなる。本種の目の光受容器は、暗所で機能する杆体細胞が56%を占めており、人間の視力では完全な闇である10 - 4 ルクスの弱光下でも視覚を使った採餌や隠れ家への帰り道を辿ることが出来る。色覚もある。

獲物は粘液腺に富む舌を伸ばして捕えるか、直接噛み付くかして丸呑みする。ミミズ・ナメクジ・クモ・飛ばない昆虫やその幼虫、さらには小さな両生類などさまざまな地上性の小動物を食べる。
チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

雪の上で活動するファイアサラマンダ変温動物なので極端な温度の時は不活発になる。ヨーロッパ北方に分布する個体は冬の一番寒い時期にはほとんど


2009年02月13日

車輪の国、向日葵の少女

日本によく似たとある架空の国のお話。その国では罪を犯すと懲役に代わり、その罪に応じた「特別な義務」が科せられ、その犯罪者は「特別高等人」という超法規的存在によって更正指導される。主人公・森田賢一はその特別高等人を目指す候補生である。最終試験の課題として、田舎町にいる三人の少女を更生するよう指示されるが……。
マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ

全5章からなる構成であり、シナリオは伏線を幾重にも張り巡らし「社会」「人間」をテーマに描かれている。

森田賢一(もりた けんいち)
声優:なし
主人公。国立法都大学法学部特別高等科卒業、特別高等人候補生。時折狂ったような言動や行動を取ったりするが、その実状況を冷静に見据えており、行動力実行力共にずば抜けて優れている。
特別高等人試験の最中、MKSカンパニーという企業を立ち上げ莫大な富を得たり、地獄と言われる南方紛争を生き残った経歴を持つ。なお、MKSカンパニーのMKSとはもりた けんいち 強い(Strongth)の頭文字から来ている(本人曰く)。特別高等人試験の一環で様々な技能を身に付けており、本編ではその片鱗が幾つも登場した。ヒロインの三ツ廣さちからの呼称である「モリケン」はネット上でも度々使われている。独り言が多い。ハードM。
本名は樋口健。父である三郎が内乱を起こしたが、それが失敗に終わった。その後、三郎の故郷に詰め掛けた軍隊に追われるまま、友達を見捨て町から一人逃げ出した。物語の舞台となる町は彼自身の故郷であるが、様々な試験を経てあまりにも変わってしまった健に気付く者はいない……。ただ一人を除いては。なお、独り言が多いのにはきちんとした理由がある。
日向夏咲(ひなた なつみ)
声優:新城麻奈
異性と接触してはいけない「恋愛できない義務」を持つ少女。おとおどしており、一人を好む。七年前の内乱で行方不明になった友達の「ケンちゃん」を待ち続ける。学園の寮で一人暮らし。「どもどもです」などといった独特な言葉使いがある。
三ツ廣さち(みつひろ さち)
声優:芹園みや
特殊な薬を使い、疲れの取れない強制的な眠りを強いられる「1日が12時間しかない義務」を持つ明るい元気系の少女。かつては絵画で賞をとったこともあるが、とある出来事をきっかけに自堕落に陥り現在はネット為替にはまる毎日を送る。ひまわり畑で出合った少女まなと一緒に生活している。「アガる」「サガる」などといった独特な言葉使いがある。
大音灯花(おおね とうか)
声優:紫華すみれ
親権者の命令を強制される「大人になれない義務」をもつ少女。クラスの委員長を務める(母親に命令された)が、性格はややうっかり者。現在は母親と2人で暮らしている。かなりの甘党で、口癖は「ぶっこぉすぞ!」(「ぶっ殺すぞ!」が舌足らずでそういう発音になっている)。幼いころに都会で璃々子と出会っており、彼女の口癖や性格は璃々子の教育の賜物。
樋口璃々子(ひぐち りりこ)
声優:籐野らん
主人公の姉。樋口三郎の娘ということで極刑と言われる重い義務を背負わされている。かなりのS。
南雲えり(なぐも えり)
声優:倉田まりや
主人公と同じ特別高等人候補生。最終試験のために田舎町に訪れるが……。
まな(まな)
声優:神月あおい
さちと一緒に生活をしている少女。異国人でかつての内乱の戦災孤児。スーパーでアルバイトをして、さちの部屋のクローゼットを寝床としている。過去のさちの栄光を知っており、絵をもう一度描いてほしいと思っている。
卯月セピア(うづき せぴあ)
声優:盛啓介
本名は磯野一朗太(いその いちろうた)で、卯月セピアは自称。主人公のクラスメイト。童話作家を自称しており、メルヘンな話が大好きな他、戦争の話も好む。時折ことの本質を突く発言をすることがある。髪の毛を気にしており、髪に触るなどをすると怒る。
大音京子(おおね きょうこ)
声優:風音
灯花の母であり、主人公と同じ大学を卒業。学園で教師を務める。学園では人気があるが、娘に厳しく接する。この人の「ぶっ殺すぞ」も舌足らずで「ぶっこぉすぞ」になっている。
法月将臣(ほうづき まさおみ)
声優:さとう雅義
舞台となる街の特別高等人で、主人公の指導者かつ試験官。通称とっつあん。非常に優秀な特別高等人であるが冷酷で厳格な性格で、何を考えているのか分からない。
樋口三郎(ひぐち さぶろう)
声優:なし
主人公と璃々子の父で故人。元特別高等人。七年前の内乱の首謀者で、国からは「革命家」ではなく、「テロリスト」「過激派アナキスト」として扱われる

あかべぇそふとつぅのOHPにおいてキャラクター人気投票が実施されたが、男性キャラの法月将臣がダントツ1位という結果となった。しかし、その得票数の大半がイタズラによるものであることが分かり、あかべぇそふとつぅはOHPの票全てを無効とし、ユーザーアンケートハガキの票のみを有効票とする措置を取った。その結果はファンクラブ会報でのみ公表され、こちらでの1位は大音灯花、OHPで1位だった法月将臣は5位となっている。

2009年01月27日

トムキャット

F-14はアメリカ海軍の艦上戦闘機。F-4 ファントム IIの後継機としてグラマン社が開発した。愛称は「雄猫」の意味のトムキャット(Tomcat)。

アメリカ海軍の保有・運用するF-4の後継機[1]として、グラマン社が開発した第4世代ジェット戦闘機に分類される艦上戦闘機である。1機あたりのコストは3,800万ドルで、総計712機が製造された。可変翼を有し、長射程のAIM-54フェニックスを運用できるのが特徴である。

初飛行は1970年で、部隊配備は1973年より進められた。アメリカ海軍のほか、イラン空軍でも採用された。

F/A-18E/F戦闘攻撃機への機種転換を進めた結果、2006年9月22日にVF-31トムキャッターズの解隊をもって、アメリカ海軍のF-14は全機が完全退役した[2]。唯一のアメリカ以外の採用国となったイラン空軍では、現在でも現役で運用されていると見られる。

開発の経緯
F6Dミサイリアー構想
F-14の開発は1950年代までさかのぼる。当時アメリカ海軍は東側の対艦攻撃機を要撃する機体を必要としていた。これに対して、1957年、ダグラス社は戦闘機XF6D-1ミサイリアー(Missileer)の開発を行っていた。F6Dは滞空時間約10時間で先進的な火器管制システム(AN/AWG-9)のもとで、ベンディックス社の開発するはAAM-N-10イーグル空対空ミサイル(航行速度マッハ4、射程203km)を搭載するものだったが、イーグルミサイル以外の武装を持たない上に機動力も汎用性も乏しく廃案となった。しかし、イーグルミサイルは火器管制装置AN/AWG-9ともども開発が続けられ、AAM-N-11、さらにはAIM-54となり、双方ともにF-111Bを経てF-14で採用されることになった。

なお、空軍は同時期にXF-108・YF-12要撃機を開発しており、これらに用いられたAIM-47ファルコンミサイルと、ヒューズAN/ASG-18 火器管制レーダーの技術も流用されている。

TFXプログラムとF-111Bの頓挫
1961年、ジョン・F・ケネディの政権下で国防長官に就任したロバート・S・マクナマラは、当時海軍と空軍から要望されていた新型戦闘機を可変後退翼を持つ共通のプラットフォームTFX(Tactical Fighter Experimental)として開発する計画を立てた。マクナマラ自身はこの分野の知識に疎く、実際に空軍から出ていた要望は戦闘機というよりも長距離爆撃機に近く、他方で海軍からの要望は対艦ミサイルを搭載した航空機を対艦ミサイル射程外で迎撃するための長距離航行可能で且つ至近距離での空中戦を想定した戦闘機であり、当初からその計画には無理があった。
スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

1961年10月1日に入札各社は各案を提示。ゼネラル・ダイナミクス社が落札した。ゼネラル・ダイナミクス社はグラマン社と提携し、グラマン社はランディング・ギアと本体後方部、および海軍向けのアレンジTFX-N(後F-111B)のデザインを担当した。

グラマン社はかつて、廃案となった可変翼機XF10F-1ジャガーの設計を行った経験があり、その可変翼の技術をF-111で採用した。海軍向けF-111Bのプロトタイプは1965年の5月に初飛行を行ったが、重量過多、航行速度不足、加えてランディングギアの位置が前方に偏り過ぎていたために艦上着陸の際の挙動が非常に不安定で危険となることなど明らかに海軍の要望を満たしておらず、海軍からの強い反対にあい採用は見送られた。

VFXプログラムの立ち上げとグラマン案の採用
しかし当時海軍で採用されていたF-4ファントムおよびF-8クルーセイダーは性能的に時代遅れとなりつつあり、ソビエト連邦の新型機などの脅威に対応不可能と考えられていたことから、海軍はTFXプログラムからVFX(Carrier-based Fighter Experimental)プログラムを、F-111B不採用を決定してすぐに立ち上げた。

1967年10月に各社はこの要望に応札、グラマン社とマクドネル・ダグラス社が残った。グラマン社の案は管制システム、ミサイル、エンジンをF-111Bからそのまま転用したものだった。翌年マクドネル・ダグラス社はモデル225を、グラマン社はモデル303を提示。最終的にグラマン社が落札した。

F-14の開発

YF-14AF-14は当初、F-111同様垂直尾翼が1枚だったが、海軍がそれに異議を唱えて垂直尾翼を2枚要求し、結果、1969年3月に最終案が採択。開発を急ぎたい海軍とグラマン社は、試作機を作って性能評価を行い、その結果を踏まえて量産型を制式採用/発注、といった通常の開発方法の手順を踏まず、いきなり量産型の生産に入り、スローペースで生産する先行量産型でテストを行うクック・クレイギー計画を採用し、まず12機の先行量産型を製造した。そして、先行量産型の各機に受け持ちの性能評価項目を振り分け、迅速に開発を行うこととした。

当初初飛行は1971年1月を予定していたが前倒しされ、1970年の12月21日にチーフ・テスト・パイロットのロバート・スマイズとプロジェクト・テスト・パイロットのウィリアム・ミラーによって敢行された。この飛行は悪天候と視界不良のために短時間で切り上げられ、9日後に再度飛行テストが行われたが、着陸の際にランディングギアの油圧系統が故障。予備のシステムも作動せず、試作機は墜落。パイロットは間一髪で射出されて軽傷ですんだ。この時製作中の12号機を1X号機として試験に割り当てたため、プロトタイプは都合13機である。

この設計ミスはすぐに修正され1971年5月24日に2機目の試作機が飛行を行った。この試験機は低速度での動作確認、可変翼、および銃器の動作確認に割り当てられた。3機目は搭載重量を増やしての飛行、4、5、6機目はムグ岬の海軍基地でAWG-9/AIM-54の搭載試験を行った。このうち5機目は1973年6月20日スパローミサイルの発射試験で自機に命中するという珍しい事故で墜落している。この事故の原因は、スパローは発射後に急上昇して高度を稼ぐようになっているが、しかしこの試験では下へ打ち出す力が弱かったため機体下面にスパローが激突したことである。7機目にはエンジンの換装が行われF401が採用された。8機目は生産ラインのデータ確認に使用され、9機目、11機目はレーダーとその他のシステム確認に割り当てられた。11機目は地上の標的に対してバルカン砲での攻撃テストにも使用されている。10機目は海軍の試験センターで空母での発着を想定した試験に使用された。

海軍による最初の試験飛行は1971年12月16日に行われ、大変な好評を博している。搭乗員からは着艦の際の挙動の制御が難しいため、ビースト(獣)と呼ばれていた。翌1972年の6月15日に最初のカタパルトを使用した発艦試験がUSSフォレスタル(Forrestal)で行われ、6月28日に初の着艦試験が同空母上で行われた。この10号機はのち着艦に失敗し、パイロットは死亡している。オペレーターは同乗していなかった。

運用開始と配備数の圧縮

空母から飛び立ったF-14F-14はアメリカ軍がベトナム戦争より全面撤退した1973年より部隊への配備が開始され、初期導入機が老朽化しつつあったF-4と代替し始めた。しかしF-14の取得費用およびメンテナンスなどにかかる諸費用が群を抜いて高いことが知られるようになると、野党の政治家をはじめとする各方面より強い非難を受けた。

実際に民主党のハートキー(Hartke)とビンガム(Bingham)両上院議員から採用を非難するレポートが提出されるなどし、その結果結局当初配備予定だった722機のF-14は313機まで大幅に圧縮された。

その後も政治家やマスコミなどによる非難は止まず、更なる圧縮が計画されたが、当時の海軍作戦部長エルモ・R・ザムワルト・Jr(Elmo R. Zumwalt Jr.)によって擁護され、免れることになった[3]

基本構造

横田基地で展示されるF-14
左後方よりF-14は艦隊防空戦闘機であり、艦隊防空戦闘機として使用するために能力も防空に特化したものとなっている。よって、格闘戦を重視したF-15やF/A-18とは異なる設計思想の元に開発された戦闘機である[4]。

一番の特徴としてはAIM-54 フェニックス空対空ミサイルと、それを使用するための強力なレーダー火器管制装置が挙げられる。操縦機構の付いていない後席にはF-4を踏襲して、RIOと呼ばれる専門のレーダー員が搭乗した。RIOは操縦資格を持っていない事がほとんどである[5]。

主翼にエルロンはついておらずスポイラーが装備されており、水平尾翼の差動と合わせてロール機動を行う。  これは可変翼であるが故の特性であるが可変翼以外にも、航空自衛隊の可変翼ではないT-2およびF-1もエルロンによるロールではなくスポイラーによるロールである事にも注目されたい。

艦隊防空に特化した機体ではあるが、平たい胴体の発生する揚力が加わる事で実質的な翼面荷重は小さく、可変後退翼の後退角の自動制御で旋回時には主翼を前進させて旋回半径を小さくする効果により、意外にも空中戦能力は低くはない。同時期に開発されたF-15との模擬空戦においてはたびたび勝利し、2機のF-15を相手に1機で勝利したこともあると言われている[6]。後述する通り実戦においても、MiG-23やSu-22相手に勝利している。

その一方、大型な機体のために空力抵抗が大きく、TF-30の推力不足により推力重量比も小さく高G旋回を維持することができず、神経質なエンジンであることに起因するスロットル操作の制限は、空中戦においてはマイナス要因である[7]。

エンジン
F-14は胴体下面に、左右に間隔をあけて2基のターボファンエンジンを搭載している。双発機でエンジンの間隔をあけると、一方に起こった致命的な故障(爆発、火災、タービンブレードの破損など)がもう一方に波及しにくいという利点があるものの、1発停止時には機体軸線と生きているエンジンとの距離が大きくなるため操縦はより困難になる。また、F-14では左右のエンジン間の隙間をミサイルの搭載場所として利用している。

F-14Aはプラット&ホイットニー社製TF30-P-412を搭載している。このエンジンはF-111Bで採用されたTF30-P-12の改良型でF-111Dにも採用されているが、非常に大きな欠陥を抱えている。出力は12,350lbで力不足なことに加えてインテーク付近での気流の乱れに異常なほど敏感で、簡単にコンプレッサーストールを起こす。F-14以外も含むこのエンジンを採用した機体は過去に40もの被害を出しており、その被害総額は10億ドルを越える。F-14のこのエンジンを採用したA型は当初最初の67機のみ製造し、後ゼネラル・エレクトリック社製のF401-PW-400に換装したB型を400機製造予定だった。

このF401-PW-400エンジンは安定していることに加えて高出力、低燃費で、空軍が後に開発したF100と同じくJTF22を設計ベースとしていた。しかし、このエンジンは開発中に技術的トラブルに合い、加えて開発の経緯で記載の通りコストに起因した問題からF-14本体のプログラム自体が非難にあっていて、更に予算を追加しなければならなくなるために道半ばでプロジェクトは消滅し、このF-14Bの製造は開発段階で頓挫することとなった。

ちなみにこのエンジンを積んだ2機目の試験機158260(1機目はプロトタイプの7号機)はほとんど完成していたが、プログラムの消滅に伴って試験飛行を行う前にエンジンをTF30へ戻されている。

ミサイル

AIM-54をフル装備したF-14
空母甲板上でのF-14とAIM-9F-14の搭載するAIM-54フェニックスはアクティブレーダーホーミング長距離空対空ミサイルで、射程は100kmを超える。このミサイルはソ連のスタンドオフミサイル Kh-22 及び発射母機である Tu-22/22M爆撃機を空母機動艦隊のはるか遠方で迎撃する目的で開発され、現在でもアメリカ軍が使用する空対空ミサイルとして最も射程が長いものとなっている。しかし、このミサイルは大型で機動性が悪く、また高価でもあり、実戦使用例は湾岸戦争時の1度きりである。この時は最大射程ギリギリで発射したため、命中はしていない。イラン・イラク戦争で使用例があるといわれているが、戦果については諸説存在し、はっきりとしたことはわからない。

6発装備では着艦時には燃料がゼロでも最大着陸重量を超えるため、2発の空中投棄が必要となる。フェニックスは47万ドル余りと高価なため、無駄を出さないよう実際搭載する場合には4発までとなっている[8]とされる。 なお、フェニックスは2004年9月30日にアメリカ海軍から引退した。

フェニックスの他には、中距離空対空ミサイルであるAIM-7、短距離空対空ミサイルのAIM-9も搭載できる。これらの空対空ミサイル、あるいは爆弾類は、胴体下面、左右のエンジン間に4ヶ所、主翼根元のグローブに左右1ヶ所ずつ、計6ヶ所のハードポイントに搭載する。

F-14の第一の目的が艦隊防空能力であり、対地攻撃能力については、付加するに十分すぎる性能を持っていたが、積極的に付加されなかった。このため、特にアメリカの空母戦闘群に対艦ミサイルで攻撃を仕掛けてくる可能性のあった唯一の国家ソ連が崩壊してからというもの、F-14はその存在意義が大きくぐらついた。また、搭載兵器もF-14Aは現在主流の中距離空対空ミサイルAIM-120 AMRAAMに未対応である。実弾発射試験には参加したが、F-14に残された短い寿命の中での運用は必要無いと判断された。そのため、短・中距離での交戦では旧型のAIM-7を使用する必要がある。